【烽―とぶひ―】憂国のアート、至誠のアート

【烽―とぶひ―】憂国のアート、至誠のアート展について


神官を務め、最後の文人と謳われ、19世紀世界三大画家とも評される富岡鉄斎(1837-1924)は、幕末明治の危機意識から、深い憂国の情を抱えてい ました。自らを画家と言わず学者と称し、幕末の志士達とも深交があった鉄斎は、国史をはじめとした学問を志し、其れを芸術に昇華させました。「御國振」の 衰えを嘆き、「天下万古隆盛の道、それ、ここにあるか」と叫び、「唯々一人ハ一人の至誠をつくし、天下の人、至誠つくす」という鉄斎の烈々たる意志は、現 代の危機に在る私共の胸に迫ります。

「維新の志士の如き烈しい精神で文学をやつて見たい」、そうでないと「腰抜文学者の様な気がしてならん」と言い、「至誠」を重んじたのは、鉄斎と同時代を 生きた夏目漱石(1867-1916)でした。また、「剣」と「詩」の一体性が文化の本質であることを示唆した三島由紀夫(1925-1970)の著作 『憂国』での、「至誠」の掛軸を印象強く覚えている方もいらっしゃるでしょう。国史や神話へのまなざしを持ち、復古の理想を追い、現実の危機に処した志士 たち、その純粋無私の精神たる「至誠」ですが、本企画により、現代作家の皆さんの「至誠」への志に、多くの皆様に触れていただければと思います。

芸術は国境を越えた感動を呼びますが、その礎は足下を見つめるところにあり、其処には先人たちのかけがえのない遺産があり、そしてそこから今を貫く垂直軸 の上にこそ、新しい芸術は生まれるとかんがえています。戦後日本の日本否定教育や反日プロパガンダは、多くの日本人から日本人としてのアイデンティティを 奪い、いわば原点喪失をもたらしました。戦後七十年という節目の年を迎え、本企画はそのことをかんがえるよすがにもなるかも知れません。「現下の日本の置 かれた条件が根本から非道なものだというのに、どうして日本がこのままでいいはずがあろうか!いや、よかろうはずがない!」(1974)。そう言ったアン ドレ・マルロー(1901-1976)は、日本芸術に「永遠」を見ていた一人でした。

「芸術」が終わった後の「アート」とも云われる現代の「アート」の意義が問われる今、「アート」の中に在って「アート」を貫き、連綿たる「至誠」への道、その歴史の垂直軸への連繋を見据えてまいりたいとおもいます。

企画は、ギャルリさわらび。銀座一丁目、映画撮影などにも使われる昭和7年(1932)建築のビル(旧銀座アパートメント)の一隅にあります。昭和7年 は、日本では桜田門事件、血盟団事件、五・一五事件があり、また、いわゆる三二年テーゼがあり、銀座の柳が植樹され、チャップリンが来日した年でもありま す。この画廊空間や建物には、時代の空気が否応無く流れています。

幕末の危機、昭和の危機、そして現代の危機。鉄斎や志士達が遺した書画は、今も私共の心を打ち、そして危機に顕れる「詩」は、現代日本にも生まれています。

「烽―とぶひ―」とは、『日本書紀』や『風土記』などに見えるのろし(烽火、狼煙)を表す言葉です。上古日本の危機にあって防人と共に設けられ、「とぶ ひ」は「飛火」から来ているようです。この企画がひとりでも多くの皆様の心に、火の粉を飛ばせるものになりましたらうれしくおもいます。


ギャルリさわらび 田中壽幸

(平成27年2月11日記す)

 

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