光は東方―ひたちのくに―から 佐々木誠+綾部好男

石岡が生んだ幕末随一の歌人、志士 佐久良東雄

協力/石岡市教育委員会

令和元年11月27日(水)~令和2年2月2日(日)※12/26-1/7休

11/27及び日・月・火曜日のみ開催 午前11時~午後5時まで

游美舎 ひたちのくにのいえ(茨城県石岡市)

 

●木彫  佐々木誠 1964東京生まれ。1997彫刻創型展、文部大臣賞。2010個展、羽黒洞。2014個展、ギャルリさわらび。「スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり」(足利市立美術館、DIC川村記念美術館、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館、渋谷区立松濤美術館)。2018「まつりのたましひ」展、常陸國総社宮。「木学/XYLOLOGY-起源と起点-」旧平櫛田中邸アトリエ。日本の風土、歴史、神話に自己の胚胎の原点を据え制作。

 

●洋画  綾部好男 1941東京府中生まれ。1965東京藝術大学油画科卒業(牛島憲之教室)。1966~現在、グループプシケ展、シロタ画廊。1989日本中国交流美術展大賞、世田谷美術館。1998『くらやみ祭』(文:猿渡盛文、絵:綾部好男)刊行。2008「府中千年」展、府中市美術館。2013~「くらやみ祭」展、ふるさと府中歴史館。2018個展、ギャルリさわらび。「まつりのたましひ」展、常陸國総社宮。
 

●佐久良東雄(1811-1860)

文化8年、常陸国新治郡浦須村(現石岡市)生まれ。幕末を代表する歌人、志士、国学者。

古道を究めるほどに、時事に対する慨嘆つのる。天保の飢饉に際して、多年愛蔵の書籍を売り払い、民の困窮を救おうとした。

天保6年、真鍋村(現土浦市真鍋)善応寺住職。全国の尊攘派志士と交流を深める。

天保12年、鹿島神宮に王政復古を祈願し、桜の苗木1000本を寄進。

天保14年、新月の夜に還俗、鹿島神宮参詣、神池の中で七日七夜絶食、潔斎。

大坂の座摩神社に祝部として神に奉仕しつつ、弘道に心を傾ける。

安政5年、神祇伯白川氏より神祇道学師の称号授与。

万延元年、桜田門外の変に連座して投獄。獄中では「吾、徳川の粟を食まず」とし、絶食死したと伝えられる。

伝馬町の獄に繋がれながら、「古事記」を講じた。

明治24年、靖国神社合祀。

明治31年、従四位追贈。

昭和10年、大阪夕日ヶ丘の原墓地に歌碑建立の祭典が催される。「事しあらばわが大君の大御為人もかくこそちるべかりけれ」(乃木大将真筆)。

昭和18年、文部省発行の教科書「初等科修身 四」に東雄が紹介される。

昭和19年、生家(石岡市内)が「佐久良東雄旧宅」として国の史跡に指定される。

昭和44年、百年祭挙行。

 

ますらをの東をのこの一筋におもふこゝろは神ぞ知るらむ

ふるさとのかたゆながるゝ恋瀬川こひしからずてたれかすぐべき 

 

『幕末 非命の維新者』(村上一郎1920-1975文芸評論家・歌人)より

 

「井伊大老が桜田門外で殺されたことや、その暗殺者が主として水戸の志士だったことを知っている者も、今日、その事件に連座し大阪で捕われて入牢し、江戸伝馬町の獄で、徳川のあてがいぶちは口にせぬと、ただびわの実ばかりをたべて、絶食死した詩人のいたことを忘れている。その人、佐久良東雄は、生前大らかに、清らかに歌った。

 

 朝日かげとよさかのぼる日の本のやまとのくにの春のあけぼの

 

大柄な、りっぱな歌である。明治天皇の歌によいものがあるのも、このような血統を引いていたからよいのである。」

 

「彼は天朝をあくがれること深い、涙あふるる恋闕の歌人であり、そしてまた、東国の庶民の子であった。この遺書は、尋ねて来た福羽美静が預かり、保存された。

 

この涙の人佐久良東雄は、遺書を書いて五日目に、呼出しをうけて奉行所に留置され、そのまま獄に下る。家宅捜査のとき、あわやのせとぎわで、妻の妹が機密書類を便所に投棄したというから、一家とも志操はたけだけしかった。妻は水戸藩士鈴木氏の娘である。東雄が東国に送られるのは、四月上旬、旅中、宿の天井に駕ごとつるされるというありさまで、厳重に警戒されながら、警護の士や宿の者に『古事記』を講じたという。

 

 明日知らぬ露の命のつかのまもこころならずて過すべしやは

 

緊張をとかない人である点、吉田松陰にも通じる。」

 

「この末世志士たちのうちに、東西の二大歌人と考えてよい者は、東の出の佐久良東雄、西の出の伴林光平であろう。」

 

「幕末・維新第一等の漢詩人は、雲井竜雄であろうかと思われる。吉田松陰その他すぐれた人はあるが、一詩人としてみるなら、竜雄の前には光を争い得るかどうか。・・・

 シェイクスピアを学んだ北村透谷のような人も、また雲井の詩を愛し、初期のエッセーにそのことを書き残している。明治初年以来、こうしたものに衝迫されることなしに、日本の青少年は、けっしていかなる主義にも思想にも運動にも身を挺し得なかったのである。私事をかえりみても、わたしはついに政治に尽身する者でも、運動に敢死する者でもあり得ずに今日に至ってはいるが、社会正義を思い、人間の末を思う心の由来は、同じ東国人である藤田父子(※)や雲井竜雄や佐久良東雄に多くを負うている。」

 

(※)西郷隆盛が最も尊敬した、水戸の藤田東湖と、その父幽谷。東湖の『正氣歌(せいきのうた)』、『回天詩史』等は、志士達が高唱した。

 

(令和元年11月、大嘗祭直後の夜明け前に写す 游美舎)

 

 

 

 

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