「心の灯 東千賀の仕事展」御礼

 

「死を想え」(memento mori-メメント・モリ)という言葉があります。東千賀さんの仕事を想うとき、私はこの言葉を幾度か反芻しました。死を想うからこその生・・。

 

「心の灯 東千賀の仕事展」(十二月十二日~一月二十五日)では、多くの皆様のご来廊を賜り、誠にありがとうございました。

 

作品「夢十夜―水棲期・海場」には、深海に没する鮫か戦艦とおぼしき個体が大画面一杯に描かれながら、深い奥行を持ち、その空間の広がりが画廊空間全体を包みこうように感じられました。そしてその死せる個体の内奥から発する、眼には見えずとも確かに秘んでいる力が、観る者の心を揺さぶります。

 

作品「ひまわり」。枯れた向日葵の屹立する姿には、舞踏とは「命がけで突っ立った死体」と語った、作品「舞踏 肉体の叛乱」に描かれた土方巽氏の言葉を想起させます。「ひまわり」の気高さに、胸打たれます。

 

作品「万象九相」、「からすうり」、「百骨樹」の植物達や「路上」の古書、「南島に棲す」の形而上的画面、「暗い胸廓」の磔刑図には、朽ちゆく姿態に宿る一瞬のともしびが捉えられています。そして、作品「落下胎」では落下する人形の垂直線の軌跡に、崇高への絶え間ない志を見るのです。

 

今展で多くの皆様を魅了した万華鏡作品は、「華麗洞」と名付けられました。細密画が纏められた「東千賀作品集」には、作家の埴谷雄高氏自筆の題辞が「夜光表現双書」と記されていますが、その「夜光」たる宇宙を想わせる華麗洞空間には、東さんの絵画作品に通底する品格があり、万華鏡の先入観を破る、新たな藝術の誕生を予感させます。皆様の感嘆の声を、忘れることが出来ません。

 

「死を想え」、ゆえに生あり。夜と光・・。冬の雪を想うことで、春、生命の魁―早蕨(さわらび)があるのかも知れません。

 

皆様に春のかがやきが訪れますように。

 

東藝術の生命に、また会いにいらしてください。

 

 平成26年1月28日 廊主

 

 

 

HIGASHI CHIKA EXHIBITION 2013-2014
心の灯 東千賀の仕事展

油彩・アクリル・パステル・ペン画、銅版画、デッサン、コラージュ、万華鏡―華麗洞―


【前期】:平成25年 12月12日(木)~12月28日(土)
【後期】:平成26年  1月 9日(木)~ 1月25日(土)

正午~午後6時
水木金土:開廊 日月火:休廊、 後期は一部展示替えがございます。≫


【東千賀 略歴】
岡山・倉敷生まれ/東京女子美術大学洋画専攻科卒業/桑沢デザイン研究所元専任教授(デッサン)/スルガ台画廊、シロタ画廊、紀伊国屋画廊、ギャルリさわらび企画展/平田美術サロンメンバーズイヴェント/画刻展/「始源へ」展/齣展会員

 

上:路上Ⅰ(2012)

下:落下胎・幔幕の内で(1987)

 

 

東千賀さんとの対話の中で、ある時ふと「私は人間が好きなのだ…」と呟かれたことを、印象深く覚えています。

人間は、自然や社会、生活、 宗教、哲学思想や歴史伝統といった、様々なもの・ことを総合した中で生きています。藝術もそういう人間が生み出すものですが、いわゆる「近代絵画」は―― 「純粋芸術」という言葉もありますが――、色や形そのものの追求となり、藝術の自立性を高唱しました。無論そのこと自体は有意義なことですが、しかし、自 立が独善となり、或いは、芸術価値以外の無意味化を亢進させるのならば、その「芸術」は果たして藝術なのでしょうか。

全体性を見失った芸 術は、その礎を忘却し、いわば人間との絆を失った、独り善がりの空虚な「自立」となりかねません。あらゆる分野が細断分断され相対化され、或いは人と人と の関係性が稀薄となり無連帯(アノミー)化がすすむ昨今、総体としての藝術、その世界観を目指すことは、近現代が失いつつあるものに目を向け、同時に新し い時代の藝術、その生命の鍵に触れることにもなるのではないでしょうか。

東さんの作品に、私はその可能性を見ます。東さんの人間へのまなざし、そのやさしさと厳しさ、そしてしなやかさに、人間そのものの可能性を見ます。「人間が好き」という言葉に、東千賀の藝術の原動を見る思いが致します。

作 品「夢十夜Ⅱ」には、「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」という和泉式部(978頃-?)の和歌が書画一如の境地を感じさせるが如 く絵画と一体となっています。今は見えなくとも――しかし確かに在る――、はるかに照らす月灯りは、心の中の標となって、行く道を照らします。

作品「路上Ⅰ」は、その≪心の灯≫が、朽ちゆく古書(ふるぶみ)――先人たちの叡智――によって、かがやきを取り戻そうとしています。しかし「叡智」は、朽ち滅びゆく途にあり、風前のともしびでもあるのです。

「古人の心を得て、その跡に拘泥せず」という言葉があります。「心」の承継が為され、今を見つめ、今を生きる。其処に藝術の花は咲き、「夢十夜」の月はかがやくでしょう。

東 さんの作品には、何者かがとけこむようにして潜んでいます。秘かにこちらをじっと見ているかもしれません。「蜘蛛」の内に人の顔を宿すなど、幻想的神秘的 作品を残したオディロン・ルドン(1840-1916)は、印象派と同時代に在りながら其れとは一線を画し、独自世界を築きました。東さんはルドンにイン スピレーションを受けながら、人間の欲望や嫉妬を理性の対極として揶揄するだけでなく、理性主義的思考にも一定の距離を置いています。人間の理性には自ず と限界があり、むしろこの世は人間の理性では計り知れないことの方が大きいという謙虚さがあり、その「計り知れないもの」に心を寄せることで、作品の中に 生まれるものを大切にされているのです。

本展では、「階段」、「落下」、「夢十夜」、「九相」、「水棲期」、「遁走」、「銀影再現」、そして「舞踏」といった東さんがこれまでに制作のテーマとされてきた絵画やコラージュ作品と共に、万華鏡作品[華麗洞]を初めて展示いたします。

連作「九相」は、鎌倉時代の「九相詩絵巻」から着想を得たものですが、この絵巻は屍が土灰に帰す過程を九相で表したものです。死というものの現実を知ることで、現実の生を生き、また、土はやがて新しい生命を孕みます。

近 年は、土方巽(1928-1986)等、舞踏をテーマにした作品を描いています。土方は、舞踏とは「命がけで突っ立った死体」だと言いました。朽ち滅びゆ くもの――生かし繋ぐための滅びの承継――と共に、今生の人間が謂わば神人対晤する一瞬間の灯――生と死もまた一体となる――、この灯こそが「総体」をつ なぐものであり、「命」を紡ぐものであり、東千賀の藝術は、その灯の顕現を、はるかに照らす月をおもうが如く見据えているのではないでしょうか。それは東 さんオリジナルの万華鏡[華麗洞]の清廉な美のように、二度と同じものは無く、それでいてどこかとてもなつかしいのです。

「心の灯 東千賀の仕事展」 、ご高覧賜りますようご案内申し上げます。

廊主

 

 

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