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櫻井陽司《ローソクと絵具》 撮影/藤森武 23x16cm 原画(油彩)制作年不詳
櫻井陽司自刻印章「狂人」+藤森武直筆署名
※写真作品です。詳細はお問い合わせください。
情熱(passion)に内包される受難(passion)、その深奥に秘む狂気、そこからこそ新しい生命は立ち上ってくる。櫻井陽司自刻印章「狂人」の意は、passionという不合理を生きることであり、芸術無限―永遠―への渇望である。(「生誕100年 櫻井陽司展」ご案内状より)
・藤森武 略歴
写真家。1942(昭和17)年、東京生まれ。東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒。62年、写真家土門拳に師事。67年、凸版印刷写真部入社。70年からフリーランサーとなり、古美術や仏像など日本文化伝承をテーマに活動。全国の六十余館に及ぶ博物館の収蔵品撮影を継続中。『白洲正子・私の骨董』(求龍堂)、『鉈彫 荒彫 謎の木彫仏』(玉川大学出版部)、『武士道―サムライたちへ』(ピエ・ブックス)、『藤森武写真展 みちのくの仏像』(山形美術館)他多数出版。日本写真家協会会員、土門拳記念館理事。
・櫻井陽司 略歴
1915(T4)新潟県刈羽郡中鯖石村(現柏崎市)生まれ。1928(S3)上京。油絵を始める。1945(S20)板橋の大山にて戦災、作品焼失。1946(S21)職場美術協議会結成、第1回展より出品、47年より議長。1952(S27)麻生三郎、吉岡憲推薦「櫻井陽司素描頒布会(発起人代表 職美協中央美術研究所 杉本鷹)」。1957(S32)名古屋サカエ画廊個展、以後8回。1964(S39)愛知県美術館にて駒井哲郎と二人展。1965(S40)木村定三の紹介にて柏三屋主催展、以後10回。1975(S50)東京サヱグサ画廊個展。1977(S52)宇都宮上野百貨店個展、以後毎年10年。1982(S57)美術ジャーナル主催個展。1985(S60)紙舗直個展。1986(S61)名古屋「審美」個展。アートロベ個展、92年迄。1992(H4)名古屋「審美」第2回個展。1994(H6)アートロベ個展、2000年迄。2000(H12) 12月24日逝去。2003(H15)ギャルリさわらび個展(開廊記念)、以後10回。2010(H22)東御市梅野記念絵画館「私の愛する一点展」出展、以後毎年。2012(H24)櫻井研氏により「櫻井陽司會」設立。2013(H25)東京芸術劇場「心のアート展」特別展示、安彦講平氏推薦、ギャルリさわらび協力。2015(H27)愛知県美術館木村定三コレクション展にて20点公開。ギャラリーアビアント個展(生誕100年メモリアル展)。ギャルリさわらび個展(生誕100年展)。
櫻井陽司《眠れる母と子》 写真監修/藤森武 伊勢和紙 31x25cm 原画制作1948年
櫻井陽司自刻印章「狂人」+藤森武直筆署名
※写真作品です。詳細はお問い合わせください。
情熱(passion)に内包される受難(passion)、その深奥に秘む狂気、そこからこそ新しい生命は立ち上ってくる。櫻井陽司自刻印章「狂人」の意は、passionという不合理を生きることであり、芸術無限―永遠―への渇望である。(「生誕100年 櫻井陽司展」ご案内状より)
平成24年の暮れ、櫻井陽司さんのアトリエが取り壊される直前、私はアトリエの荷物等の整理のために、仕事の合間に何度か其処を訪れていました。整理をする時間は限られており、荷物の移動や保管も何人かの方に協力して頂きました。取り壊しのため立入禁止とされた後にも、もう一度だけと言ってお願いし、その際に発見されたのが、ハガキ大の汚れた箱に入ったガラス乾板でした。其処に写し出されていたのは、1948(昭和23)年作≪眠れる母と子≫。原画は既に失われていて、印刷されたその作品を陽司さんはアトリエにずっと掛けていました。この度、生誕100年櫻井陽司展にあたり、発見されたガラス乾板を元に、この作品が67年ぶりに復元されることとなりました。写真監修は、ギャルリさわらびの展示に共感していただき、また写真家土門拳の直弟子だった藤森武さんです。現在、東北5県巡回中の「藤森武写真展 みちのくの仏像」では、日本のカミの姿としての仏像への眼差しがあり、師土門とは一線を画した写真家藤森の世界が表出されています。画家櫻井陽司と写真家藤森武がぶつかり合った火花の如く産み落とされた本作ですが、母と子、それを見つめる描者、それぞれの間を結ぶ深い愛情が、見る者の心を打ちます。(平成27年神楽月に ギャルリさわらび 田中壽幸)
・藤森武 略歴
写真家。1942(昭和17)年、東京生まれ。東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒。62年、写真家土門拳に師事。67年、凸版印刷写真部入社。70年 からフリーランサーとなり、古美術や仏像など日本文化伝承をテーマに活動。全国の六十余館に及ぶ博物館の収蔵品撮影を継続中。『白洲正子・私の骨董』(求龍堂)、『鉈彫 荒彫 謎の木彫仏』(玉川大学出版部)、『武士道―サムライたちへ』(ピエ・ブックス)、『藤森武写真展 みちのくの仏像』(山形美術館)他多数出版。日本写真家協会会員、土門拳記念館理事。
・櫻井陽司 略歴
1915(T4)新潟県刈羽郡中鯖石村(現柏崎市)生まれ。1928(S3)上京。油絵を始める。1945(S20)板橋の大山にて戦災、作品焼失。1946(S21)職場美術協議会結成、第1回展より出品、47年より議長。1952(S27)麻生三郎、吉岡憲推薦「櫻井陽司素描頒布会(発起人代表 職美協中央美術研究所 杉本鷹)」。1957(S32)名古屋サカエ画廊個展、以後8回。1964(S39)愛知県美術館にて駒井哲郎と二人展。1965(S40)木村定三の紹介にて柏三屋主催展、以後10回。1975(S50)東京サヱグサ画廊個展。1977(S52)宇都宮上野百貨店個展、以後毎年10年。1982(S57)美術ジャーナル主催個展。1985(S60)紙舗直個展。1986(S61)名古屋「審美」個展。アートロベ個展、92年迄。1992(H4)名古屋「審美」第2回個展。1994(H6)アートロベ個展、2000年迄。2000(H12) 12月24日逝去。2003(H15)ギャルリさわらび個展(開廊記念)、以後10回。2010(H22)東御市梅野記念絵画館「私の愛する一点展」出展、以後毎年。2012(H24)櫻井研氏により「櫻井陽司會」設立。2013(H25)東京芸術劇場「心のアート展」特別展示、安彦講平氏推薦、ギャルリさわらび協力。2015(H27)愛知県美術館木村定三コレクション展にて20点公開。ギャラリーアビアント個展(生誕100年メモリアル展)。ギャルリさわらび個展(生誕100年展)。
佐々木誠《拆厳之霊(拆雷神)さくいかづち》
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「古事記」の神話では、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだ為に女陰を焼かれて死んだ伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って伊邪那岐命(いざな ぎのみこと)が黄泉の国に下った際、その焼け爛れた身体から蛆とともに生まれた神々の姿を見たとされる。このとき、頭から大雷神、胸から火雷神、腹から黒 雷神、女陰から拆雷神、左手から若雷神、右手から土雷神、左足から鳴雷神、右足から伏雷神と八柱の雷神(いかづちがみ)が成った。
厳之霊(いかづち・雷)とは怒り、惧れの感情の神格化ともされる。
佐々木誠 略歴
昭和39年(1964)東京生まれ/1984年より木彫を中心に制作活動を始める/日本の風土、民族的歴史に自己の胚胎の原点を据え、神話や信仰遺品から 造形をイメージし制作を続けている/1997年彫刻創型展、文部大臣賞/1999年同展、創型会賞/2010年「第36回人人展」東京都美術館、「小さな 人人展」羽黒洞、「Asia Top Gallery Hotel Art Fair
2010」Grand Hyatt HK羽黒洞ブース(香港)、個展「祖形-ヒトガタ-」羽黒洞/2011年個展「大日本者神國也-オホヤマトハカミノクニナリ」羽黒洞/2012年「アート フェア東京2012」シャッフルIIブース出品、「月ノカホリ Art Colours
vol.3」パークホテル東京、個展「靈ちはふ國」羽黒洞/2013年個展「豊葦原瑞穂國」ギャラリー隠れ里/2014年個展「皇國大道(スメラミクニノ オホミチ)」羽黒洞、東千賀氏との二人展「秘展―垂直ノ存在社」ギャルリさわらび、個展「たまふり」ギャルリさわらび、「スサノヲの到来―いのち、いか
り、いのり」足利市立美術館(2015年DIC川村記念美術館、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館、渋谷区立松濤美術館に巡回)/2015年個展「烽― とぶひ― 憂国のアート、至誠のアート」ギャルリさわらび